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香川県民の約半数が信仰する宗派。それは「浄土真宗」です。 | 高松市の葬儀・家族葬なら家族葬の花水木

葬儀前

香川県民の約半数が信仰する宗派。それは「浄土真宗」です。

2024年04月19日

皆さんは、「浄土真宗」という宗派を知っていますか。
「浄土真宗」は、日本にある仏教13宗派の中で一番信者が多いと言われている宗派です。令和3年時点での調査では、日本国内の仏教信者の約2割が「浄土真宗」でした。別名で「一向宗」と言われることもあります。
「浄土真宗」なんて聞いたことない…という方もいらっしゃるかもしれませんが、日本史の勉強で出てくる「一向一揆」は聞き覚えがあるのではないでしょうか。「一向一揆」は戦国時代に「浄土真宗」の信者が武装して各地の権力者に反抗した一揆です。戦国時代に織田信長などの諸大名を相手に日本各地で反抗していたわけですから、どのくらい沢山の信者がいるのか想像が出来るかもしれません。
日本では、葬儀の約90%が仏教式で執り行われており、その中で一番多いのが「浄土真宗」ですので、皆さんも知らず知らずのうちに「浄土真宗」の葬儀に出席しているかもしれません。 そこで、今回は「浄土真宗」について解説いたします。

浄土真宗とはどんな宗教?

「浄土真宗」は、鎌倉時代に開宗し、室町時代に広く普及した、親鸞(しんらん)を宗祖とする日本の仏教の宗派の1つです。浄土真宗を信仰している人のことを門徒と言います。ご本尊は「阿弥陀如来(あみだにょらい)」で、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を唱え、「浄土三部経」という「大無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の3つのお経を特に大切にしています。 また、「浄土真宗」には、「真宗10派」と言われる10の流派があり、その中でも親鸞の血族の流派である「本願寺派(西本願寺、お西さん)」と「大谷派(東本願寺、お東さん)」の2つの流派が主流ですが、香川県では、親鸞の弟子の流派の「興正派」のお寺も多く存在します。歴史的な背景で流派が分かれていますが、基本的な教えはどの流派も同じで、現在は流派同士の交流もあります。

浄土真宗の歴史

「浄土真宗」は、鎌倉時代だった1224年に親鸞が開宗しました。
宗祖の親鸞は、1173年に京都で生まれ、家が貧しかった為、9歳で天台宗の比叡山に出家。その後、浄土宗の法然に師事しましたが、当時は新しい考え方であった、浄土宗の「専修念仏(念仏を唱えれば救われる)」という考え方が朝廷により禁止され、新潟に流罪になります。しかし、親鸞は流罪になったあとも信仰を続け、1224年に浄土真宗の教義である「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」を完成させます。
当時の仏教は今でいうエリート層、上流階級には普及していましたが、一般庶民には普及しておらず、庶民の救いにはなっていませんでした。そのような中で、阿弥陀如来を信仰する「顕浄土真実教行証文類」という、分かりやすい教えを説き庶民に受け入れられたのが「浄土真宗」です。しかし、親鸞には教団を作る意思はなく、親鸞が生きていた間(親鸞:1262年89歳没)には「浄土真宗」という呼び方はなかったと言われています。
親鸞の死後、親鸞の血族である「本願寺派」が京都、弟子や門徒たちが関東を中心に布教活動を続けていきます。
その後、室町時代中頃に浄土真宗の中興の祖と言われる、本願寺8代目の蓮如(れんにょ)が庶民に教えを説くことが出来るように各所の門徒に送った手紙が「御文章(御文)」と呼ばれ、現在も法要の場で読まれています。
蓮如の熱心な布教により浄土真宗の勢力が爆発的に拡大し、門徒の結束が強まり、全国で大名などの圧政に対して一揆(一向一揆)を起こし始めます。その後、一向一揆は織田信長と衝突し制圧されます。その際の講和が原因となり、当時の本願寺11代目とその長男の意見が分かれ対立し、この対立が後に「本願寺派」「大谷派」へと血族が分裂するきっかけとなります。
その後、戦国時代に豊臣秀吉と徳川家康が戦った関ヶ原の戦いで、11代目の次男で本願寺の後継ぎとなった本願寺12代目派の門徒が豊臣勢(西)、後継ぎになれなかった11代目の長男派が徳川勢(東)に加担し、結果、徳川勢が合戦を勝利します。徳川勢に加担していた長男派は、徳川家康より京都に土地を寄進され東本願寺を建立します。これにより、11代目の次男派の「西本願寺」、11代目の長男派の「東本願寺」と親鸞の血族が2つの派に分かれ、現在の「浄土真宗本願寺派(西本願寺)」「真宗大谷派(東本願寺)」となります。

浄土真宗の教えとは?

「浄土真宗」では、難しい教えを説きません。この世の全てのことは自分たちの意思ではなく、浄土真宗のご本尊である「阿弥陀如来」の力によるものだとしており、自分たちの思いを祈るのではなく、あるがままを受け入れ、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えて感謝しましょうと説いています。
「南無阿弥陀仏」とは古代のインドの言葉の音訳で「ナム」は「私はあなたを信じます」、「アミダ」は「はかりしれないもの」、「ブツ」は「悟りを開いた仏」を指すと言われています。法然が開宗した浄土宗では、「南無阿弥陀仏」をひたすら唱えることが推奨されていますが、「浄土真宗」では、唱える回数ではなく、心から阿弥陀如来を信じ、全ての事が阿弥陀如来の力であることを受け入れ、感謝することを大切にしています。
また、「浄土真宗」では、阿弥陀如来が修行中に立てた誓いである「本願」が重視されています。「無量寿経」の中で、阿弥陀如来が悟りを開く修行中に48の誓いを立てたとされており、その中の18番目「私が仏となった以上、私を信じ極楽往生を心から願って、少なくとも10回私の名(南無阿弥陀仏)を唱えたのに、万が一にも浄土に往生出来ないようなことがあるなら、私は仏にはなりません」という誓いが浄土真宗の教えの根源となっています。実際に、阿弥陀如来が仏になっているということは、逆説的ではありますが絶対に門徒を救ってくださるということになります。 「浄土」には、大日如来の密厳浄土、薬師如来の浄瑠璃浄土など沢山の浄土がありますが、ここでいう「浄土」とは、阿弥陀如来が作った清浄で清らかな菩薩や仏が住む国「極楽浄土」の事です。この極楽浄土には一切の苦がなく、ただ楽があるとされており、現世の苦しみにあえぐ人々の拠り所となっています。

他宗派との違い

ここまで解説してきたように、「浄土真宗」は、庶民に受け入れられやすい、分かりやすい教えの為、他の仏教の宗派の教義や作法と違う点がいくつかあります。今回は、その中でも特徴的な3つの違いについて解説いたします。

① 戒名がない

浄土真宗では、「他力本願」と言い、他の宗派のように修行をすることで自力で悟るのではなく、あくまでも「他力(阿弥陀如来の力)」を信じ、「南無阿弥陀仏」と唱えることにより、誰でも極楽浄土に往生できるとされています。その為、修行者が守るべき「戒律」がなく、仏弟子になって修行することもないので、仏弟子としての名前である「戒名」もありません。その代わり、仏道に帰依した証として「釋○○」という形の「法名(ほうみょう)」が授与されます。

② 枕飯・枕団子が不要

「浄土真宗」以外の多くの宗派では、故人様の枕元にご飯や団子をお供えします。これは死出の旅へのお供え物です。浄土真宗では死後は旅をすることなく、阿弥陀如来の力により、すぐに仏になり極楽浄土へ行く(臨終即往生)とされているので、旅に携えるお供え物は必要ないと考えられています。また、旅をしないので「死に装束(白い装束、杖、わらじ、六文銭など)」も同じく必要ないとされています。

③ 清め塩が必要ない

「浄土真宗」での死は、極楽浄土へ往生するありがたい事であり、死=穢れという考えではありません。また、故人様だけでなく、参列者にとっても仏様の教えに触れられる場としてとらえられている為、身体を清める為の塩は不要とされています。

清め塩についての詳細はこちらのコラムをご覧ください

葬儀の際の清め塩 正しい使い方は?

まとめ

仏教には、いくつもの宗旨宗派があり、浄土真宗はその中で一番、信仰している人が多い宗派です。特に香川県高松市のエリアなどでは半数以上の家が浄土真宗だとされています。仏教の中でも宗派により葬儀の際のマナーは違います。浄土真宗の葬儀の場合は、「他力本願」「臨終即往生」の教えの為、香典袋に「ご霊前」と書いてはいけなかったり、「ご冥福をお祈りいたします」という言葉を使ってはいけないなど、他の宗派と違う点がいくつかありますので、浄土真宗の葬儀に参列する際は気を付けましょう。不安な時は、スタッフまでご相談ください。

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