仮会員で今すぐ大幅割引
無料でお届け資料請求
お悩み事即解決

お客様サポートダイヤル

【香川】0120-056-873

【徳島】0120-3158-94

無料資料請求はこちら

人は何を信じて老いていくのか|終活の本質を現場から考える 徳島・香川の葬儀・家族葬なら家族葬の花水木

家族葬の花水木 葬儀屋の(副)社長ブログ

【終活シリーズ 第2弾】

2025年12月15日

終活の本質|人は何を信じて、弱っていくのだろうか

少し前、あるお坊さんの法話を聞く機会があった。

そこで投げかけられた問いがある。

「あなたは、何を信じて生きていますか」

会場にいた女子高生が、迷わずこう答えたそうだ。

「私は、自分を信じて生きています」

まっすぐで、強い言葉だ。

若い今だからこそ、胸を張って言える言葉でもある。

だが、そのお坊さんは続けた。


終活の本質として考えたい問い

人は弱ったときも「自分」を信じ切れるのか

人は年を取り、

体が思うように動かなくなり、

考える力や判断力が衰えてきたとき、

それでも同じように

「自分を信じて生きています」と言えるのだろうか。

葬儀の現場にいると、

この問いの答えを、何度も突きつけられる。


終活の本質を考えさせられた現場の光景

先日、担当しているご自宅へ

ドライアイスの交換に伺ったときのことだ。

棺の中には、91歳で亡くなられたおじいちゃん。

その横で、90歳近い奥さんが、

椅子に座り、棺にそっと身を寄せるようにしていた。

眠っているのか、

それとも寂しさから寄りかかっていたのか。

正直なところ、私には分からなかった。

ただ、そこには

最期の時間を、夫婦二人きりで寄り添って過ごす、

とても尊い光景があった。

長い人生を共にしてきた人を失い、

胸に込み上げる寂しさだったのか。

それとも、

これから一人で人生を歩んでいくことへの覚悟だったのか。

答えは分からない。

だが、その背中からは、

言葉では表せない深い想いだけが、静かに伝わってきた。


テレビで語られる終活と、現場で見る終活の本質

最近、「あさイチ」や「クローズアップ現代」でも、

高齢期の孤独、不安、判断力の低下、

そして「自分で決められなくなる瞬間」が取り上げられている。

正直に言う。

これは新しい話ではない。

終活の現場では、

決して珍しいことではなく、

何度も目にしてきた現実だ。


終活の本質は精神論だけでは語れない

人は、

元気なうちは「自分を信じて生きている」と感じられる。

だが、弱ったとき、

それだけでは足りなくなる瞬間が、確かに訪れる。

体力が落ちる。

判断が鈍る。

決めることができなくなる。

これは、気持ちの持ちようだけで

片づけられる話ではない。

終活の現場では、

機能の問題として表れてくることが多い。

その瞬間から、

人生は少しずつ他人の手に委ねられていく。


なぜ終活では神や仏、家族が大切になるのか

だからこそ、人は

神や仏を求め、

家族を頼り、

仕組みや約束ごとに寄りかかる。

それを、弱さだと切り捨てるのは簡単だ。

だが、終活の現場で見ていると、

それはごく自然な、人としての姿にしか見えない。


終活の本質とは「信じる先」を決めておくこと

終活とは、

その「寄りかかり方」を、

元気なうちに決めておくことでもある。

自分が弱ったとき、

誰に、何を、どこまで任せるのか。

それを考え、言葉にして残すことは、

決して暗い話ではない。

むしろ、

自分の人生を、最後まで自分のものにしておくための準備だ。


終活の本質(まとめ)

終活は“死ぬ準備”じゃない。

“残された人が迷わない準備”だ。

そして同時に、

自分が弱ったとき、

何に、誰に、寄りかかって生きるのかを

そっと決めておく準備でもある。


次回予告|終活の本質を具体化する

次回は、

「では、終活として具体的に

何を、どこまで、どう決めておけばいいのか」。

終活の本質を、

現場で本当に必要だった項目に落とし込み、

分かりやすく整理していく。

────────────────────

●家族葬の花水木は香川・徳島で全15会館展開中

※香川県の葬儀会館については→コチラ

※徳島県の葬儀会館については→コチラ

●お迎えから納骨までご家族専属の葬儀担当者、葬儀コンシェルジュがサポート
●各種家族葬プランを取り揃えており皆様にあったプランをご提供できるようになっております。

➡ 資料請求はコチラ

➡ 仮会員登録ページはコチラ